マイスター通信
                   
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「府中誉・渡舟」の醸造元である府中酒造さんの現社長兼杜氏でいらっしゃる、山内孝明さんのロマンあふれる一面が読み取れます。
そのまま新聞記事を書き写しましたので、長く誤字・脱字があったりして読みずらいと思いますが、是非ご一読下さい。
      
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”絶滅種”追い求め 2年かけ種もみ造り 毎日新聞   平成3年5月15日
 県産米で酒造りを、と石岡市の府中酒造(山内和治社長)常務孝明さん(28)が、今年初めて八郷町月岡、農業、菱沼久さん(58)の水田に「渡船(わたりぶね)」の稲を植えた。12日の田植えには「素人の酒造り田植えツアー」の約40人が東京からバスで参加した。この人達は「日本酒が大好き」という詩人、カメラマン、会社員、会社社長らとその家族。秋の稲刈りにも来ることになっている。孝明さんが2年間、種もみつくりをした成果が実現したわけで、孝明さんと父親の和治社長親子は苗を手に喜びをかみしめていた。
 日本酒の原料になる酒造好適米は減反の県域の壁があって品不足ぎみ。純米酒や本醸造酒など高級酒の需要がふえて売り手市場になっている。県域の壁とは、たとえば、「山田錦」(兵庫県米)茨城など他県で作付けすることが事実上、不可能なのだ。これは兵庫県側が報復措置として「茨城の酒造会社へは山田錦を売らない」とストップする恐れがあるからだ。孝明さんも他県の農業試験場へ種もみをわけてくれるよう頼んでみたが、「栽培実績の無い他県へはやれない」と断られた。そこで「昔、茨城も酒米を栽培した事があるはず」というヒントを元に石岡市の農家を訪問した結果、やっと十数件目で八十近い老人が「十数年前に渡船という酒米を栽培していた農家があった」と教えてくれた。文献で調べたら、渡船は山田錦の親にあたる品種で、明治から昭和初期まで各地で栽培されていた事が分かった。「これなら茨城で栽培しても他県から非難される事は無い」。
 ところが、”絶滅品種”なので、種もみが無い。途方に暮れかけた時、石岡地区農業改良普及所の堀田藤重指導員が「つくば市の研究機関なら保存しているはず」と教えてくれた。さっそく、国立農業生物資源研究所が冷凍保存していた種もみのうち数グラムを譲ってもらい、石岡市の農家から借りた一坪(3,3平方メートル)足らずの田圃に植えたのが1989年の春だった。隣のコシヒカリの刈り取りが終わるころ穂に実が入った。揚水機場のポンプが止まってからも水かけが必要で、孝明さんはバケツで水をくんでかけ続けた。
 昨年秋、渡船は12キロ収穫できた。こんどは田圃探し。堀田指導員の「渡船は平地の水田ではだめだ。山際の沢水が流れる砂地の水田が良いだろう」との助言で、筑波山麓の八郷町へ。「山田」見つけては、所有者に栽培を頼んでは断られ、やっと菱沼さんが引き受けてくれた。順調に育てば十月下旬に稲刈り、来年一月に仕込み、四月中旬ころ渡船の酒が出来る。作付け面積は30アール。孝明さんは「まともな酒米に育つか、仕込んでどんな酒になるか見当がつかない。父も若いころ、県産の酒米をやりたがったが、食米も足りない時代で実現出来なかったという。これで父の夢もかないそうです」と、実りの秋を楽しみにしている。
”レトロ米での酒”鑑評会で入賞 毎日新聞   平成7年5月10日
昭和初期まで県内でも栽培されていた酒米「渡船」を復活させて造った、府中酒造(山内和治社長、石岡市)の清酒「府中誉大吟醸渡船」がこのほど、関東信越国税局酒類鑑評会で入賞。”レトロ米の酒”にこだわった、同社常務山内孝明さん(32)や、栽培農家らの努力が実を結んだ。
 同社は、需要が伸びている純米酒など高級酒の原料の安定確保と、「地域に根ついた酒造り」のため、「山田錦」などの”人気米”を他県から買わず、県内産米による酒造りを追求。特に山内さんは、石岡市の農家のお年よりから聞き知った渡船に注目した。
 渡船は病気に弱いなどで農家は栽培しておらず、品種を保存していた農水省農業生物資源研究所(つくば市)から、手のひら一杯分の種もみを入手。1989年から、温暖な気候などが渡船に適した八郷町の農家らに栽培を依頼した。
 90年から未知の米での酒造りをスタート。昨年産米で納得できる酒が出来、初めて同鑑評会に出品。全626点中、入賞93点の一つに選ばれた。
 渡船は、「高精白しても崩れないなど素晴らしい性質」(山内さん)といい、水を良く吸うため濃純な味が特徴。山内さんは「県産米で受賞できてうれしい。さらに作付けを増やしたい」と喜んでいる。
幻の酒米「渡舟」復活絶滅種から一流の味 茨城新聞   平成12年4月16日
 一度は姿を消した古里に伝わる幻の酒米「渡船(わたりぶね)」を探しあて、わずか14gの種もみを増やし、逸品と評価を受ける日本酒を造りだした。この米は栽培が非常に難しい。復活した渡船を原料米とするのは全国でも府中酒造だけという。
 復活米で酒造りに挑戦したのは、山内和治社長(68)の長男で7代目にあたる山内孝明常務(37)。東京の大学を卒業し、国税庁の醸造試験所で半年間、酒造りの理論を勉強。ここで全国の醸造事情を知り、「独自の酒造りを」と志を立てた。
 古里に帰った当初は、新品種米による酒造りを模索したが、新しい米からスタートすれば新酒造りに10年、20年はかかる。「それなら昔のもので」と、地元に伝わる種もみ探しが始まった。
 石岡市の農家を何件か訪れたところ、戦前、この地方で渡船という酒米を栽培している事が分かった。しかし、栽培している農家はすでに無い。人ずてでつくば市の農水省農業生物資源研究所に冷蔵保存されていることを知り、頼み込んで14gの種もみを譲ってもらった。1989年のことだ。
 酒米・渡船は、現在の高級酒の高級米とされる「山田錦」の親に当たる。農純な酒を造るすぐれた酒米として明治から大正にかけて全国で栽培されていたが、@病気に弱いA収穫が食米より一ヶ月遅いB稲穂が倒れやすいーなど栽培が難しく”絶滅種”扱いとなっていた。
 種もみは手に入った。が、今度は栽培という問題が立ちはだかる。幸いなことに、渡船の栽培に適している山間の谷津田を所有する八郷町の農家が栽培を引き受けてくれることとなった。わずかだが種もみも2年後には10数キロまで収穫され、復活米・渡船による念願の独自の酒造りが始まった。
 出来上がった酒は、酒米の名をそのままとって「渡船」と命名。初出荷時は「4合瓶で300本程度」(山内社長)の生産だったが、この米が本来もつ青リンゴのような香りと濃純でいてさらっとした飲み口が県内外の左党の支持を受け、数日で売り切れるほどの人気を呼んだ。現在は五町歩まで米の栽培を広げ、年間約25000本(4合瓶換算)を出荷している。ただこれでもニーズに追いつかないという。
 山内常務は、「栽培田の団地化を図りたいのだが、どうしても栽培方法が難しい。特に病虫害に弱いのが難点」米造りの段階での問題を強調。又、杜氏の押切義昭さん(63)も「ほかの米に比べて米質が柔らかく、麹の造り方が難しい。本当に造りずらい」と酒造りの上でも問題のある米である事を指摘する。
 それでも山内常務は「山田錦とは親子の関係だが、こんなに違うものかと思った。渡舟はもろみで味が出る。それも迫力のある味」と絶賛。今後もこの個性的な米を使い全国で唯一の酒造りを続ける覚悟だ。
酒は米と水と人
 山内和治社長   いい酒を造る最大条件は、原料の米と水、そして造る人の技術・経験・熱意。大量生産と高品質は両立しない。だから小さい仕込みで丁寧に造っている。とにかくいい酒を造る、これしか無い。
 「茨城の酒」への評価が年々高まったいる。PR下手な県民気質が災いしてか、これまでは上質な酒を造っているわりには評価が定まっていなかった。しかし、徒党を組まない本県蔵元たちの個性ある酒造りに対して、「いいものはいい」という左党の支持が増え始めているというものだ。もともと本県は、水郷地帯に代表される古代からの米の名産地。酒造りの歴史も、常陸風土記(713年)までさかのぼれる。県内には65の蔵元が存在する(県酒造組合調べ)。このうち実際に酒造りを行っているのは、48蔵。酒に歴史あり、そしてドラマあり。

如何でしたか?TVドラマや漫画に出てきたようなロマン溢れる実話でしょ〜。

今期で3回目の造りを迎えた山内杜氏、社長も兼任され様々な意味で府中酒造さんの舵取りをされ、奮闘されております。
若き御頭首の醸す渡舟・太平海 是非ご賞味頂けますようお願い申し上げます。